君は一人で山に行ったか!?
このゴールデンウィークはなんとか4連休できそうだ。
仲間に誘われたけれど、ゴメンなさい。どうしてもソロで行きたい。
一人での山行…
すなわち「単独行」だ。
こんなことを書くと気心の知れた山仲間たちに怒られてしまうかもしれないし偏屈な奴だと思われるかもしれないが、単独で山に入った時の緊張感はパーティで入山した時とは比べ物にならない。全ての責任が自分だけにかかる。起こること全てを自分で判断し、決断しなければならない。
道が無くなっても誰も何もアドバイスしてくれない。自分で地図を読み、コンパスを頼りに進まなければならない。山道が崩壊していれば自分をロープで確保して進まなければならない。あるいは進むことをやめる判断をし、緊急露営(ビバーク)しなければならない。
誰もいない何も見えない完全な暗闇のテントの中で嵐の夜を過ごさなければならない時もある。
熊なのか、絶滅したはずの狼なのか、もののけなのか、得体のしれない獣らしき鳴き声も聞こえたりするし、そもそも人間の領域ではない場所で飯を食らい、眠らなければならない。
それが単独行だ。
私は何故ソロが好きなのだろうか考えると、多くのソロ愛好者がそうであるように「自分のペースで歩ける」し「面倒くさくない」ということなのだ。
自分よりも技術も体力もあるような人とパーティーを組めば、非常に気を遣ってしまう。
早く歩かなければ迷惑がかかってしまうような気がしてしまうのだ。
逆に、自分よりも技術的にも体力的にも劣る人と一緒の場合には、当然そちらにペースを合わせる訳だから、自分本来のペースで歩くことはできない。こちらの方は、前出のケースに比べたら何ともないことだけど、それでも自分のペースではないもどかしさがどうしても心の中にあるのかもしれない。
それから、緊張感の連続と一人の力で成し遂げたという達成感もたまらない。
そしてもう一つの要因は、学生時代から何度も読んでいる新田次郎の『孤高の人』と、その主人公である加藤文太郎の著書『単独行』の影響だ。
不世出の登山家「単独行の加藤」
一介の技師である加藤が名門山岳会や山岳部のパーティーををヒューっと抜き去って行く爽快さよ!
その超人的な山行と山への愛よ!
山を歩くときに「エライこっちゃ、エライこっちゃ」と言いながら登るのは「孤高の人」に加藤文太郎がそう言いながら登っているシーンが出てくるからだ。
加藤文太郎が昭和4年の元旦、この厳冬期の八ヶ岳を単独で登った時の手記が単独行を最高の表現で語る。
― 今日は元日だ。町の人々は僕の最も好きな餅を腹一パイ食い、いやになるほど正月気分を味わっていることだろう。僕もそんな気分が味わいたい、故郷にも帰ってみたい、何一つ語らなくとも楽しい気分に浸れる山の先輩と一緒に歩いてもみたい。去年の関の合宿の良かったことだって忘れられない。それだのに、それだのに、なぜ僕は、ただ一人で、呼吸が蒲団に凍るような寒さを忍び、凍った蒲鉾ばかりを食って、歌を唱う気がしないほどの淋しい生活を、自ら求めるのだろう ―
・・・
まさに単独行とはこういうものだ。
もちろん加藤文太郎の行った山行と私の山行ではレベルが断然違う。
「単独行の加藤」と呼ばれてゆく過程には、おそらく他人とうまく打ち解けることができずに誤解されてしまう性格が大きな要因だったのだろうと想像する。また、当時の山をやる人間は大学の山岳部やそのOBたちのようなエリートたちがほとんどであったという影響もあるのではないのか。
印象的な場面がある。
立山の山小屋にたどり着いたとき、加藤は、先着のパーティーに敬意を表するために、ひきつってはいたが、精一杯の微笑を浮かべながらつっ立っていた。
しかし先着のメンバーの目に、いっせいに警戒の色が走る。目の暗さに慣れた加藤は靴を脱ぎはじめるが、なぜだれも話しかけてくれないのだろうといぶかる。
そして勇気を出して話しかける。
「私をあなたがたのパーティーの一員に加えていただけませんか」
だが…
「それはできませんよ。ぼくらはすべてこの六人で行動するように準備してきている」
さらに続けて
「だいたい、あなたは、土田さんに一度だって挨拶しましたか。挨拶もせずに、人のパーティーに図々しく割り込んで、ラッセルドロボウをつづけていたら、誰だって腹を立てますよ」
と返されるのだ。
加藤は自分に打ちのめされ、耐え切れないほどの孤独を感じる。
しかし、このとき同時に心の中で孤独を打ち消す。
山においては、自分以外に信用のできるものはないのだと悟る。
そして、やがて壮大な山行を単独で行うことで自分を表現するかのような数々の偉業により「単独行の加藤」の名は不動のものとなってゆくわけだ。
そして自分。
加藤文太郎と同じことなんて全くできる訳もないのだが、憧れは変わることがない。
もちろん単独で行くには、それなりの責任があることはわかっている。
それなりの体力と技術がなければ入山する資格はない。
それなりの鍛錬をしていなければいけないし、自分のレベル以上の山域、行動は慎まなければならない。
それらをふまえて…ゴメンなさい。
今回は単独で行かせてください。
といいつつも、今は残念ながら体力的にテント泊の単独行ができない。
もっぱら山小屋利用となる。
それでも、ソロが好きだ。
加山雄三の「海その愛」に
♪ 海に抱かれて 男なら たとえ一つでも 命 預けよう~♪
♪ 海に抱かれて 男なら たとえ一人でも 星を読みながら 遠い国へ行こう~♪
というフレーズがあるが、まさにそうだと思う。
あー、どこの山に行こうかなぁ~
残雪の山が呼んでいるよー
考えただけで血沸き肉踊る!
ザックもピッケルもアイゼンも準備オーケー。
あとは靴にオイル塗って手入れするぞー
これは加藤文太郎の靴…
これで厳冬期の槍ヶ岳北鎌尾根だよ!
信じられない…
もし現在の装備を加藤が持っていたら、どこまで行っちゃったんだろうか?
君よ、好漢よ、一人で行くべし!
山でも海でも仕事でも。